株式会社ナウハウス
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ナウハウス所長の鈴木です。今何を感じ、どのように建築に向き合っているのかを伝えていければと思います。
ナウハウス一級建築士の高橋です。設計を通して感じたことや現場の進捗を気軽に綴っていきたいと思います。

〒430-0817
静岡県浜松市南区頭陀寺町330−20
TEL.053-461-3408

2008-01-18
敷地は浜名湖の南斜面にあって温暖な環境である。それを反映して周囲には  みかん畑が目立つ。それぞれの季節や天候、その日の時間によって変わる風景は、浜名湖の水面がそれらをさらに増幅して見飽きることがない。外洋のきれいな潮がこの沿岸まで到達しているせいかここはアサリの絶好の漁場となって、シーズン中は漁をする船で毎日のように賑わっている。台風時には外洋の濃い潮が「苦潮」となって、酸欠を誘い、スズキやタイが手づかみで取れることもあった。この恵まれた環境を最大限に生かし、湖岸の景観をかたちづくり、簡素だがしみじみと豊かさを感じられる住まいを作ろうとした。 
クライアントは建築カメラマンで、撮影のために外出しがちであるが、この住宅への訪問者も多い。東名高速道路のインターチェンジにも近く、クライアントの幅広い人脈を生かして楽しい企画ができそうである。
重装備な高断熱高気密ではなく、ここの温暖な気候の恵みを利用し、最小限のしつらえで暮らせないかという試みである。外壁は杉板〔t=18mm〕を18mmの目透かしで張り、その上に高耐候性ポリカーボネート樹脂(t=1.5 mm) 63波トーメイ をビス止めしただけである。
構造は木造軸組工法の地上二階建てとし、柱と壁・床・天井はすべて地場の天竜杉を使用した。吹き抜け上部の二ヶ所に採光と通気や排煙のための連窓を設け、オーニングによってすべての窓の開閉の遠隔操作ができる。夏季には湖面を渡る涼風を引き入れるだけで、エアコンは使用しない。
屋根は「離れ瓦」という創作瓦を使用した。隣り合う瓦の両サイドをあえて離すことによって瓦下の通気を取り、屋根面の温度を下げる。伝統の瓦技術を見直し、現代に生きる新しい機能とデザイン性を得たいと考えた。
崖地の構造物の滑り止めを兼ねた地階は外断熱のRC造で、南側の斜面のトンネルから採光と通風を得ている。このトンネルから思わぬ発見があった。地階にいると潮加減によって、潮騒の音や潮の香りがわれわれの聴覚や嗅覚を刺激することがあった。トンネルの開口が集音器の役割をして、潮騒やギターを弾けばその音色が室内へ届く。
冬季には地階の暖炉の温もりがコンクリートに蓄熱され、上階へ放熱されていくことを期待している。いずれにしろこの住宅では、少しくらいの寒さなら、寒いなりに上着をはおるように、ちょっと奥の間に行くだけ、と考えている。
「隙間だらけの納屋」が、幼年期を小田原で過ごしたクライアントの原風景にある。温暖な浜名湖の環境なら「隙間だらけの納屋」で住めるのではないかというのがこの住宅の出発点であった。この建築においてデザインのモチーフは隙間である。太陽や月を自然の中の明かりと考えれば、この隙間は外から中へ、あるいは人工照明なら中から外へと、時間の経過によって、見えないはずの構造に光を透過させスキャンする装置である。反転が空間を日常性から非日常性への飛躍をさせている。「隙屋」には今まで経験したことのない空間が生まれたが、発想が「隙間だらけ納屋」なので、どこか懐かしさを感じさせる空間であることは間違いない。

照明について
この住宅はスケルトン構造であるので、昼間時は適度の外光が入って、地階とトイレ・パントリー以外は照明を必要としない。この建物のスケルトン構造を生かし、照明器具の選択と配置を工夫して、必要とする光だけを得る努力をした。またイニシャルコスト削減のため、「ソケット+電球」で照明器具を構成して、多灯使用とした。
広間(コードペンダント)―E26磁器モーガルソケット+φ70ダイクールハロゲン球65W
 通路(フットライト)―E17レセップ+長円柱型ランプ25W
 トイレ・パントリー・洗面ブラケット―E26磁器両耳ソケット+フラットボール40W/60W
 浴室(ブラケット)―E26磁器両耳ソケット+シリコンゴムパッキン+フラットボール60W
居室・台所・食堂(スポットライト)―配線ダクト+ダイクール球スポットライト40W

また室内の中心から外部にいくにしたがって照明の照度と色温度を下げた。それは住宅の照明が既存の敷地周辺の環境に不釣合いにならないようにするためと、省エネを考慮したためである。
広間―――――――――65W / 1400lm / 3000K / 3000h
台所・居室――――――40W / 500lm / 3000K / 3000h
通路―――――――――25W / 240lm / 2600K / 2000h
アプローチ・庭園灯――10W / 70lm / 2400K  / 1500h

光源はダイクロビームハロゲン球と白熱球である。それらは省エネ上からは望ましくはないが、建築空間の豊かさも重要であるので、演色性を優先した。ささやかな省エネへの努力として、こまめに消灯できるスイッチ回路を構成し、ライトコントロールをつけて対応した。

2007-12-28
このセミナーは、JIA建築家東海支部大会2007浜松の企画として、「地球のたまご」の会場に移して開かれました。「地球のたまご」は浜名湖の村櫛にあるOMソーラーの研究所で、太陽熱等の有効利用のエコ技術を育もうとの願いで名づけられました。浜松地区は日照時間が日本で最も長い所だそうです。
セミナーは浜名湖が見渡せるカフェテリアで開かれました。最初に塩見寛さんに東海道の旧宿場町の成り立ちを「遠州における東海道筋の街並みと文化」というテーマで語っていただきました。塩見さんは静岡県庁の厚生部福祉こども局地域福祉室の主幹ですが、「火の見櫓からまちづくりを考える会」代表、しずおか街並みゼミ世話人、藤枝ぐるりん探検隊隊長であり、一貫してまちづくりをライフワークとされています。塩見さんによれば、東海道53次のうちの22の宿場町が静岡県にあって、その宿場町は城下町と同様に(宿駅制度によって)‘新たに計画された街’であることが重要とのことです。
細かいことは忘れましたが、宿場町の計画意図を探る6要素と歴史的遺産をとらえる3つの視座があるとのことです。宿場町を見るときには、外見上の街並みだけでなく、それを支えている基盤や宅地割、あるいは水の流れにも注目して欲しいとのことでした。圧巻は[日坂]の湾曲した街道の謎解きです。‘カーブしなくてもいい地形なのにわざわざ湾曲させたのは、宿場の機能を街道沿いに配置する「長さ」を確保するため’と都市計画的見地からその理由を喝破しています。詳しくは塩見寛著の[まちの個性を、どう読み解くか]をどうぞ。
浜名湖は遠州の風土を語る上で重要なポイントです。[浜名湖の景観と地域環境]というテーマで、静岡文化芸術大学デザイン学部教授の宮川潤次先生にお話していただきました。宮川先生は「地球のたまご」の近くの菜園で「野良倶楽部」を主催し、浜名湖の温暖な気候の中で無農薬野菜を育てています。
浜名湖の水深は平均4.8mでとても浅いのです。生息している魚介類が650種以上もいて、しかもその多くが幼魚であることが最大の特徴だそうです。いわば浜名湖は、湖内で生まれる魚介類や、遠州灘から今切口へ流れ込んでくる卵と幼稚仔の「魚のゆりかご」なのです。
2007年の4月、浜松は政令都市となりました。全国一の野菜の出荷額を誇る南部の農業地域から、良質な材木の生産地である北部の広大な森林地帯まで広がりました。浜名湖とその周辺地域の重要な役割は、その恵まれた自然を資源とした‘循環型の地域づくり’ではないかと宮川先生はおっしゃるのです。そのためには‘遠州にとっての浜名湖の価値’を再認識し浜名湖の自然環境を再生して、美しい景観を次世代に繋げていかなければならないと結論されました。
熱いセミナーの後、参加者は大急ぎでバスに乗り込み、とっぷりと暮れた暗闇の中を、舘山寺でのレセプションパーティ会場へ急ぎました。
2007-12-27
JIA建築家東海大会2007浜松のエクスカーションで、摩訶耶寺、龍譚寺、宝林寺を、名古屋工業大学の河田克博教授のご案内で巡ることができました。
摩訶耶寺は寺伝によると、行基によって開創された真言宗の古刹で、本堂は総ケヤキの江戸初期の建築、極彩色の花鳥図の格天井が創建時のまま残っています。必見は、平安末期の末法思想による浄土信仰による蓬莱庭園で、池と築山に配置されたリズミカルな石組は力強く、現代の私たちにも訴えかけるものがあります。この庭は池泉回遊式庭園から池泉鑑賞式庭園への移行期とのことです。摩訶耶寺の庭は、昭和42年の東名高速道路工事中、竹林の中からの大発見で、いまや知る人ぞ知る古庭園です。
次の龍譚寺では山門から河田教授のアカデミックで詳細な解説が始まりました。龍譚寺の庭は小堀遠州の作とされてますが、この庭は延宝〔1672〕から天和〔1681〕にかけての作風で、一見池泉回遊式に見せながら実は池泉鑑賞式〔室町後期確立〕とのことなのです。小堀遠州が正保4年〔1647〕に没していることから、作庭は遠州が直接手がけたものではなく、遠州流の作庭を学んだ[衆寮]の僧たちによるものであるらしい。とはいえ名園であることには変わりなく、延宝の頃の様式の保存もよく、また地割や石組がよく作られているため、植栽が成長しているにもかかわらず庭はさらによくなっているとのことでした。
最後の宝林寺の見どころは、庭よりも中国明朝風の様式の建築でした。宝林寺は黄檗宗の禅道場らしく、毅然とした佇まいがすがすがしい。仏殿と方丈は重要文化財で、ここで近世の日本建築史が専門の河田教授の解説が全開します。仏殿の付柱の納まり、報恩堂の不自然な増築など、参加者の建築家本能が目覚め、喧々諤々と意見が飛び交い、すっかりポジティブで楽しい学習となりました。
昼食は宝林寺近くの農家レストラン「とんきい」で、地元の野菜を中心にした田舎の味をバイキングで存分に楽しみました。ワインも飲み放題でデザートのソフトクリームもおいしく、充実した庭園めぐり後の開放感もあって、皆さんの食欲は特筆に値するものでした。

2006-12-29
 「馬込の家」が完成しました。敷地は新たに区画整理がされたイーストタウンの東第二地区の中で、静岡文化芸術大学や東小学校、野口公園といった教育文化ゾーンの南側にあります。この区画の住宅の工事は、4月からいっせいに始まり、現在はできたての住宅と工事中の現場が混在しています。官公庁街区の東隣ですので、都市型の住宅の街並みが並ぶと思っていましたが、どういうわけか、郊外に建つような住宅や運送業の倉庫が混在していて、美しい街並みにはなっていません。
 整然とした碁盤の目状の舗道付の広い道路に、思い思いの建物が建っています。まとまった街の雰囲気がなく、なにかぎくしゃくしています。建築の設計者は既設の街並みの中に新しい建物を計画するのが普通で、新築でもその建物が昔からあったかのように、地域になじませて建てるのが設計者の腕前だと思っていました。区画整理が終わって更地が一気にニュータウンになるのは、唐突でかなり荒っぽいことのように思います。都市計画法や建築基準法だけのルールだけでは統一感のある街並みはとうてい無理なことだと思いました。こんなふうに街ができていいのかと疑問に思います。
 あけてびっくり玉手箱の状態になって、周囲の住宅を眺めてみますと、これが住宅展示場の雰囲気に似ているのです。住宅展示場はショールームですから、街並みのことなどあまり考えていないことは理解できます。、住宅メーカーは抽選にしたがって区画を選び、自社の主力商品を並べていきます。自社の個々の住宅の魅力をアピールすることは当然のことです。しかし地域を構成する一要素となる実際の住宅を建てる場合は、地域性を無視し、好みだけで住宅を建ててはうまくいかないと思うのです。街並みができたとき、個が群になる相乗効果で、個々の住宅がさらに輝くことができると思うのです。
 設計者がもっと地域性を考えて、してはいけないことをしなければ、もっと統一感のある街になったと思います。心ある建築設計者ならば、クライアントからの切実な要求に答えることで余裕がない場合でも、設計した建物がその地域になじむことを本能的に考えているはずです。この「納まり」という感覚が設計のプロの基本であり、おとなの感覚であると思っています。
 開き直って「馬込の家」は「天然の住宅展示場」に建てられていると考えてみることにしましょう。この家は、過密の中で住まなければならない街の中でも、3世帯の家族がゆったりと生活できる住宅として設計しました。周囲がどのように変わろうとも長く住み継いでいくことができる家です。前面は駐車場として間口いっぱいを開けてあります。街の潤いとなる植栽は、入口となる光井戸の中庭を中心に施し、両隣の境界にも緑を植えて、建物どうしの潤滑油としました。「馬込の家」の顔となる正面は、新緑の季節になれば緑のスクリーンが溶接鉄筋の格子の上にできていくはずです。ちょうど前面道路を隔てたところが旧馬込町の新築の公会堂で、屋台置場もあります。多くの人が集まる浜松祭りのときには「馬込の家」の駐車場が開放されたらいいなと考えています。道路とあわせればちょっとした広場です。こんなふうに地域とつながっていってくれたら、この家がここにある意味がもっと出てくるのではないかとい思います。この土地ならではの立地の意味を考えることは、建築本体を考えることと同じくらい大事なことです。頼まれもしないことを考え、建築をその土地にしっくり納めることは建築家の仕事です。納まっている建築はこの「天然の住宅展示場」でもしっかりとした存在感を持っていると信じております。
 みなさん、よいお年を!
2006-12-28
家族がいっしょに夕食を食べ、茶の間にひとが気軽に出入りする[サザエさん]や、昭和20年代から30年代の狭いながらも楽しい我が家の「ALWAYS三丁目の夕日」に見られる情景は、食べていくことだけで精一杯の時代のことかもしれません。今は物質的に恵まれ、普通に食べていくことができる時代になりました。煩わしい、人とのおつきあいを避けて、個人だけの生活も出来そうです。しかし悲しいできごとや殺伐とした事件が起こるにつれ、このままではいけないとの思いがみんなの心の中に芽生えつつあります。ほどほどの豊かさの中で、日本の古きよき文化が見直され始めています。まず最小単位としての家族のなかに、和気あいあいとしたコミュニケーションがあり、時に応じて近所の人や友達や親戚が集まり、気持ちのいい住環境をつくるうえで、お祭りや地域の清掃といったコミュニティの大切さも理解されつつあります。
 この本で取り上げられている11の例は、それぞれの家庭が実情にあわせて、家族の気配を五感で感じられるコミュニケーション空間を創意工夫したものです。[学習効果は受身で教えられるよりも、当事者が能動的に考え、応用して行くときに最大に高まる]ことを利用して、従来の勉強の「読み書きそろばん」に能動性を加味した「探求し表現し共有する」ことをそれぞれの家庭の中でできることだけを実行しているのです。
 ある家ではリビングダイニングに卓球台があり、それが大テーブルの役目をしていて、ここで食事から勉強とお客さんとのティータイムまで家族のコミュニケーションがすべて行われます。もちろん卓球も子供たちは大好きです。2階の子ども室への階段はキッチンの横にあって、お母さんとは常に顔を会わせることが出来ます。都心の3階建ての狭小住宅の例では、3階の子ども部屋自体を家族団らんの場所にしていて、お父さんも着替えをすると子ども部屋に来てお茶を飲んだり、新聞を読んだりしてくつろぎます。この子ども部屋はこの家でいちばん日当たりがよく、青空が見える気持ちのいい部屋だったのです。ご両親は家族旅行の気分でこの部屋に訪れ、子供がごく自然にこの部屋で勉強している姿を見ているのです。別の例ではおじいちゃんと曾おばあちゃんと暮らしていたことのある家では仏壇が家族のコミュニケーションの「しかけ」になっていました。亡くなった二人のことを偲ぶことは[探求]であり、お線香をあげてから入試に行くことは[表現]であり、仏壇に向かって合格を報告して数々の思い出を思い出すことは[共有]なのです。また典型的なマンションの例では個室にこもらせないために[ルールをつくる]ことがしかけとなりました。子ども部屋に鍵をかけない。子ども部屋のドアは閉めない。子供の寝室と勉強部屋を分ける。お父さんが算数を教える時はお父さんが出向く。これがこの家庭のコミュニケーションの方法なのです。
 コミュニケーション空間にひとつだけの正答しかないということはありません。ただ子供の生活の基盤を家全体と考えること。日本独特の、思いやりいたわりながら共存するために必要な媒体である「間」と個人主義の象徴である「壁」とのおりあいをうまくつけること。空気や視線の風通しがいいこと。家の中に回遊性を持たせること。おもてなしの場所があること。そんなことが家族の五感を刺激し、家を活性化する方法なのです。それぞれの実情に照らして問題に取り組めば、それぞれのケースにおいて答えを導き出すことできるはずです。「住まい手が芸術や花のように生き立つことができる家」が理想です。穏やかな空間のリズムを持った家族のコミュニケーション空間は、小さな寝室と大きな広間、行き止まりのない空間でつくられます。いまナウハウスはそんな住宅を設計中です。
2006-12-28
クライアントにこんな本が出ていることを聞いて一読してみました。読み進めていくうちに、この本はなかなかの労作だと思いました。東京の有名私立中学にめでたく合格した子供が、どんな家で育ったかを、著者が6年をかけて200軒以上を実態調査したことから始まります。著者が、子供が勉強するのにどんな住環境がいいか調べてみたくなったのは、自分の子供が私立中学受験を経験したことがきっかけでした。この本のスタートは個人的なことですが、調べて分かったことは、これからの住宅のあるべき姿を明確に現し、現代住宅を検証する実りあるものでした。その理想とする家は、日本の住文化の延長上にあり、現代の技術進歩による住宅の変化からないがしろにされている、ソフト面の工夫が大きく取り上げられています。そのソフト面の工夫はナウハウスのやっていることと重なることが多いのです。
 頭がいいということを、「感性が豊かで創造的であること」と解釈すれば、価値ある人生を送りたいという、家族の住まいづくりと一致します。著者による200軒の調査結果では、それらの家が受験まっしぐらの張り詰めた雰囲気ではなかったことが重要です。それらの家には、家族の和気あいあいとしたコミュニケーションがあり、密接なコミュニケーションをとることができる工夫が感じられたといいます。そして 12歳ぐらいの子供は子ども室で勉強することはなく、お母さんのいるリビングやダイニングのテーブルやちゃぶ台で勉強しているのが実情です。中学受験の年代の子供はまだお母さんの近くにいたいのです。私立中学の試験問題にも変化があって、暗記ものから、自分で考え自分の意見を人に伝えること、すなわち人とコミュニケーションがとれるか否かを試す問題に変化していることがあります。そのためには、学校で学んだことをお母さんやお父さんとお話しすることによって、生きた知識にする必要があります。
 家を建て替える動機として、子供が大きくなったからとか、勉強部屋も作ってあげたいからというご両親がいます。これから子育てをきちんとしたい30代後半のご夫婦は、南向きの一番日当たりのいい場所に子供部屋を作ってあげたいと考えることも多いのです。ひとりになれる空間は、人間の成長過程で欠かせない拠り所として必要ですが、おとなの考えるいい部屋は必要ないのです。子供にとって、生活の基盤は家全体であると考えて、子供部屋は眠るための小さな部屋で充分なのです。小さいけれど家族とつながっている部屋がいいのであって、孤立した部屋は子供にとってマイナスなのです。
2006-11-30
 建築家大会が奈良で開催されることになり、晩秋の大和路を訪ねました。名古屋から近鉄特急で向かいますと、奈良に近づくにつれて重厚な本造りの住宅やむくりのある屋根が多くなって来ることに気が付きます。奈良はまさに秋、会場近くの奈良公園はナンキンハゼ、カエデ、イチョウが鮮やかに紅葉していました。「建築家大会2006」として、デザインフォーラム、新人賞審査会、数々の講演会、レセプションパーティーが三日間にわたってここで開かれるのです。
 奈良市内にはいたるところに朽ちかけた土塀があって、歴史の古さを感じさせます。早朝、昔町の奈良町から福智院を巡って東大寺に向かいました。一番のお目当ては南大門です。1199年に重源によって天竺様で再建された5間3戸の二重門です。貫(ぬき)構造の単純明快で合理的な構法で、この構造の簡素さがそのまま力強い表現となって門のデザインがされています。シャッターを切りながら近づいて行きますと、深い庇に支配された空間がいつのまにか私を包んでいることに気付きます。南大門は構造物としての門を風雨から守るため、床面積の三倍もの屋根が門を覆っています。日本建築はこの深い庇を支えるための工夫の結果によるデザインです。木構造のため、肘木や斗栱が発明されました。南大門はにザックリと作られているのに、風雪に耐えているばかりでなく、合理的で明快なデザインが感動を与え続けていることに驚かされるのです。つねづね思っていることですが、この南大門のように、「ザックリ作って風雪に耐える構造物」であることが、建築の第一義ではないのかという気がするのです。建築の目的によってさまざまな工夫が加えられ、デザインの展開がなされるわけですが、建築のいちばん大切なことは、構造物として風雪に耐えることだと思うのです。南大門に毎日通いました。そのたびにいい気分になり、ますますその確信を深めました。
 南大門を見た後、大仏殿を見て法華堂に向かいました。この本堂は奈良時代に建てられたもので、鎌倉時代にやはり重源によって増築された礼堂とを繋げた「増築建築」の傑作です。中学の美術史でこの法華堂を初めて見て、建築の妙を知っているわけでもないのに、寄棟と入母屋を繋げたビミョウな造形にえらく感心したことを思い出します。感性というものは、三つ子の魂百までというように、年齢によって変わるものではなく、いつまでも心を震わせることを再確認しました。
 次に正倉院に向かいました。日も落ち始め、逆光の中に校倉造りの宝庫が浮かんでいました。2.7mの高床と重厚な屋根は貴重な宝物を収蔵して千数百年の風雪に耐えたいかにも奈良時代の建築です。警察官の警備がやけに厳重であったのは宮内庁の管轄だからでしょうか。
 西に向かって転害門(てがいもん)に向かいました。この門も平家の焼き討ちをまぬがれたもので、天平の雄渾な様式を今日に伝えています。私の目的はこの門ではなく、この周辺で鎌倉時代中期に栄えた東大寺ゆかりの刀工集団の手掻派(てがいは)の鍛冶場のあった周辺を探策することでした。6000人もの僧兵の刀剣を鍛えた大和鍛冶は南朝方ということで、時代の変遷にしたがい悲運の道をたどりました。刀剣の鑑定では、大和伝の日本刀は鎬幅が大きく、鎬高も高く造り込みが頑丈で、刃文も湾れあるいは小乱れといった素朴でおおらかなものです。日本刀においても東大寺南大門と共通する、初源的で素朴といった大和気質を大いに感じるのです。京都の山城伝の刀剣の洗練された品格とは対照的です。奈良は「何か懐かしく,滅びゆくもの」として感じるのは「時代についていけない、あるいは時代について行きたくない」といった思想を認めたい気持ちが私のどこかにあるからでしょう。
 転害門の周辺を散策した後、しばらく西に向かって奈良の家並みの中を歩きました。そしてホテルのある南へ方向を変えて行きますと、コンクリート打ち放しでタイルやジグザグの手すりの付いた、いわゆるデザイナーズマンションを見つけました。空き家もあるのか閑散として生彩を欠いていました。10年くらいしか経っていないと思われるのに、やつれかたがひどい。こういう建築が一般の人たちにデザインの意味を誤解させているのだと思います。表面の造形がデザインだと勘違いしている、設計者がはしゃぎすぎた建築は風化が速いものです。敷地の特性に適合し、デッサンのしっかりした建築は実際の風雪に耐え、コスト対策にも有効なのです。「東大寺南大門のように」とは言いませんが、「風雪に耐えること」が建築の第一義だと思うのです。できれば「ザックリ作っているのに隙がない]なら、よりいいと思います。使い勝手の良さはデザインと共存できるもので、深く掘り下げられた設計ならば、自由をかなりの範囲で使い手に提供してくれるはずです。
2006-11-16
まあ聞いてください。たいへんな一週間でした。ことの始まりは年に一度の成人検診です。例によってバリウムを飲んで腹部のレントゲン検査を行いました。今のバリウムは工夫されていて下剤を飲まなくても比較的自然に排泄されるということでした。水分をたっぷりとってその日のうちは順調でした。翌日も前半はスムーズでした。夕方から打ち合せが続き、最後の打ち合せは飲食を伴うものでした。アルコールもかなり入っていて、帰宅するなり翌朝まで熟睡してしまいました。これがいけなかった。翌日トイレに行ってもうんともすんとも、びくともしないのです。まあそのうちにと予定の仕事を淡々とこなしていました。次第に食欲も無くなってきて、4日目には気分も最悪で、顔も土色になっていたようです。もうギブアップ、消化器専門医院に飛び込みました。タイミングの悪いことに知り合いに会っちゃうのですね。気付かないでと願いましたが、明るく挨拶されてしまいました。レントゲンで映し出されたバリウムはしっかりとした輪郭を持っていました。帝王切開でもしないとダメではないかと思うくらいで、出産もこんなかなと思いました。
 ずいぶん体力を消耗したのでしょう。ホッとしたのも束の間、翌日ビールを一杯飲んだ直後、ぶるぶるっと震えが来て発熱が始まったのです。体温を測ると38.8度もあります。まんじりともせず、朝を迎えました。再び飛び込んだ内科医院では急性胃腸炎との診断です。すぐさま点滴による水分補給を受け,3日間の絶食をいたしました。何も食べたくないのです。あっという間の3.5kgの減量ですから、病気も悪いことばかりではないとは思いました。4日目にやっとおかゆを食べることが出来るようになりました。お米というのはなんておいしく、やさしい食べ物なんだろうと、感謝の気持ちになりました。
 この日の夕方には、中津川浩章さんの三年ぶりの個展のオープニングパーティーが、画廊キューブ・ブルーで予定されていました。2003年の個展の案内を見て,オリジナルを見たいと思っていた作家でした。厳しい線がなぜか期待させるものがあるという気がしたのです。中津川さんの作品の新作を楽しみにしておりましたので、ちょっとだけと、出かけました。そんな状態なのに乾杯の音頭をとってくれと頼まれてしまったのです。病み上がりで飲めず食べられない私でしたが、がんばってめでたい話をしました。  
 翌日は日曜日。食欲も出てきて回復の兆しです。スタンドでガソリンを満タンにし、久しぶりに洗車もしてもらいました。気分もいいので掛川の友人宅までドライブということで、磐田バイパスを気持ちよくクルマを流していました。盛岡インターを過ぎるとなぜか渋滞でノロノロ状態です。その時です。ドーンという衝撃を受けたのです。ノロノロでよそ見運転した軽トラックが追突したのです。軽いむち打ち症ということで通院の毎日です。
 病院通いの一週間でした。気をつけようのないこともありましたが、致命傷でなかったのが何よりでした。運が良かったと思います。悪いことがあったとき、もっと悪い状態を考えると感謝に変わります。ナウハウス一流の悟りです。

2006-10-28
建築家カタログVol.4が全国の書店で発売中です。愛知・岐阜・静岡・三重の住宅を得意とする建築家63人の紹介です。耐震強度のことが話題になっていますが、家づくりに関わる構造設計について、わかりやすい特集がされていますので参考にしてください。
 63人の建築家が、それぞれ自分みずから見開き2ページに、自分の作品の写真を選び、レイアウトし、自分の建築に対する考え方を書いています。この2ページの中身の内容がなかなか濃いのです。このところ毎日わたしはこのカタログを眺めております。私は同じ建築設計をしている立場ですので、この自己紹介の文章と仕事例をくりかえし読んでいますと、それぞれの建築家のセンスや設計へのモチベーションが分かってきます。
 外観も単に形とか景観とかではなく、建築の存在の仕方が現れていて、とても興味深く見ることが出来ます。デザインというものが単なる見え方ではなくて、空間の作り方が住宅の成り立ちにつながっていて、内部空間の成り立ちと外観とが整合性を持っていたい、と常々思っております。
 Q&Aが面白くて、特にQ.2、Q.3と好きな建築家と建物を読みますとこの建築家の基盤を知ることが出来ます。とくに好きな建築家と建物にどんな建築家があげられているかがたいへん興味をもつところです。好きな建物はいわばその建築家の夢の次元の建築です。好きな建築家をその建築家の作品例とあわせて見ていきますと、建築家の力量をかなりの確率で知ることが出来ます。
 たとえば フランク・ロイド・ライトという建築家ですが、じつは彼はたいへん学びにくい建築家なのです。「ライトがいいなー」と思って学ぼうとするとほとんど失敗します。ライトを学ぶことは実に難しいのです。私もこのことは学生時代には分からず、実務をしてから気づいたことです。ライトは余人にまねのできないグラフィックの才能があり、才能にまかせて建築を作っていたところがあります。
 実際にロサンゼルスで見た、ライトのエニス邸やバーンズ・ドール邸の空間が、バラガンやカーンの空間と比べて均質でコクがありません。空間が流れすぎていているのです。よどみがないということは人の居場所がないということです。さらに、空間の存在のリアリティがないというのは、設計者の論理で作りすぎているということかもしれません。もっと小規模のストーラー邸がまだよかったのは、クライアントの要求とのストラグルがあって、それがライトの建築にコクをつけたのではないかと想像してしまいます。ライトの建築は写真で見るとすごくきれいで、空間も美しいのですが、ライトの住宅にはほとんど人が住んでいません。ロビー邸のオーナーも2年間しか住んでいないと聞いております。ライトの建築は多分にグラフィック的で、落ち着ける場が無いと思うのです。
 一方、ルイス・バラガンやルイス・カーンの住宅には空き家がなく、住み手は大切にそこに住み続けているとのことです。それはその住宅にはそこに人が生活する場があり、リアリティのある空間が存在するということだと思うのです。
 そんな意味で、ライトをどう評価するかで建築家の空間の認識の深さを知ることができます。物つくりというのは学んだ対象のどこを、どの次元で学んだかを自覚していなければなりません。以上のことを念頭においてカタログの作品例を見ていくと、建築家が言っていることと実際に作っているものとの関係が分かります。注目したポイントのセンスがいいかどうか、それを具現化できる腕力があるのかどうかを見極めることが出来ます。
 このカタログを見て考えることは、自分自身の設計をあらためて見直すいい機会だと思っております。
2006-10-20
ブログを書き始めますといろいろな感想が聞くことができます。また、提案を頂いてホームページのメンテナンスをしますが、言葉が人の心に届いていることを感じて、たいへん嬉しく思いますし、はりあいが出てきました。とりとめのない話がブログに多いのですが、私はぜひ伝えたいと思ったことだけを書きたいと思いました。毎日の仕事やできごとの中で気がついたことや面白いと思ったことを、自分の視点で書くことを心がけております。わたしの頭は「建築あたま」ですので、生活の中での建築的アイデアをできるだけ紹介したいと思っております。文章を書くということは、頭のなかのサビ落としをしているようなものですので、余分なものが整理されて私の眼がすこしずつ見通しが良くなってくるかもしれません。
 「秘事は睫」というのでしょうか、ものごとの大事なことは、分かってしまえばこんな身近にヒントがあったのかということですが、それを掘り起こそうとする時は、どうしても理屈っぽくなってしまいます。世の中のものごとは、できるとか分かるようになった人から見れば簡単でも、そうでない人から見れば見当もつかないものであったりします。なんとか理解したいと隠されている秩序を見つけようともがくばかり、理屈っぽく分かりにくくなってしまいます。しかし手がかりを得たという感触はあって、イメージの展開のなかでそんな仮説が有効に働いて、建築の設計に役立っていることも多いのです。
 漢字が多く、文字が詰まりすぎて読みにくいとのご指摘で、さっそく段落できちんと区切ることにしました。写真を入れて分かりやすく、やわらかくということもやってみたいと思います。
 ブログを始めて「半年間、穴の開くほどナウハウスのホームページを見てました」という方が、住宅の設計の依頼に来てくれた時は嬉しかったですね。30代前半のご夫婦ですが、老朽化した実家を建て直し、お母さんやおばあさんと一緒に住みたいとのことでした。ホームページに掲載されている、ナウハウスの仕事例やブログを半年間穴の開くほど見てくれて、建築についての考え方に共鳴してくださったようです。設計者としては「半年間、穴の開くほどナウハウスのホームページを見てました」というご期待にお答えしなければなりません。身の引き締まる思いです。
 またナウハウスの名前の由来が、バウハウスから来たいきさつを書いた「バウ」ハウス「ナウ」ハウスへのブログを読み、ナウハウスの仕事例を見て設計を依頼に来てくださったクライアントもおります。わたしが学生の時の卒論で「クレーによる生成の概念」を論じたいきさつを読んでくださり、ナウハウスに興味をもってくださったとのことです。
 10年前には、Web上でのこのような出会いは思いもよらないことでした。以前は建築専門誌やコンペに入賞することでしか、自分の建築に対する考えを発表することはできませんでした。蒸気機関車から電気機関車、そしてコンピューターの時代を生きていて、たいへん幸せなような気がいたします。みなさんこれからもナウハウスのブログを覗いてください。鮮度のいい発見をお知らせしたいと思います。
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