株式会社ナウハウス
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ナウハウス所長の鈴木です。今何を感じ、どのように建築に向き合っているのかを伝えていければと思います。
ナウハウス一級建築士の高橋です。設計を通して感じたことや現場の進捗を気軽に綴っていきたいと思います。

〒430-0817
静岡県浜松市南区頭陀寺町330−20
TEL.053-461-3408

2013-07-02
指定文化財の域を超える、西楽寺本堂

真言宗智山派の寺で、平安後期に真言密教の拠点道場として栄えました。袋井市北部の春岡に、住宅の近隣調査中に発見。入母屋造り杮葺きの堂々たる阿弥陀堂が無造作にあることに驚き、この地の由緒を窺い知りました。外陣は朱色に彩色され、化粧垂木や組物、格天井が見事です。本尊は阿弥陀三尊、寺伝には開創は724年、聖武天皇の勅願所として行基が開山し、平安後期に右大臣源顕房が諸堂を造営したとあります。天文12年には学頭坊ほか12坊があり、今川・豊臣・徳川と、近世を通じて170石を維持されました。県指定文化財の本尊や薬師如来座像も平安後期の作です。平成の解体修理で現在の伽藍は享保(江戸中期)の頃の造営と分かりました。日本建築の醍醐味を身近に堪能できます。

西楽寺
静岡県袋井市春岡384
2013-07-02
もちがつお・うなぎ・浜松餃子

浜松のとっておきは、もちがつお。春の訪れとともに黒潮に乗って近海で捕れた鰹は鮮度がよく、つきたての餅のようにぷりぷり。爽やかな春風のような「もちがつお」は歯にまとわりつく食感が味です。うなぎは「かんたろう」。関西風炭焼きで、表面のサクッとした歯触りからジュワッとした身から皮まで、旨味たっぷりの鰻と固めのご飯の一粒一粒、甘めのタレ、鰻重2500円と、総合的なバランスがたまらん。浜松餃子は小ぶりで皮が薄く、野菜がたっぷり。ニンニクが効き、美豚餃子といわれるほど豚肉にこだわっています。鰹はリンゴ酸が効いた高知の酔鯨の純米吟醸、鰻はコクとキレの長野の瀧澤の特別純米、餃子は何でも、どれもよく冷えたお酒が欲しい!

うなぎ「かんたろう」
〒435-0028 静岡県浜松市南区飯田町616−2‎
053-464-6323

2013-04-06
WOOD(ずだじこども園)で AACA賞の奨励賞をいただき、ありがたく思います。よき理解者である理事長は、浜松の真言宗青林山頭陀寺の住職です。既設の幼稚園は2001年に竣工していますが、新設の保育所と連携して認定こども園となりました。
 
理事長は画廊にも通い、現代美術にも造詣が深い。1997年に遡りますが、頭陀寺の塀の設計の依頼を受けました。伝統的な塀について調べましたが、寺の塀には確固たる様式がないようでした。そこで私はランドスケープの物語を作り、独自に塀を構成することにしました。
 1970年代、頭陀寺は土地区画整理事業で境内と墓地を公道によって分断されました。しかし発想を転換して、そこを通る人は寺に来てくれた人と考え直しました。その道を内部化し、散策路として魅力あるものになれば、地域の人と寺の交流は深まると思いました。
 それぞれの場所の独自性を明確にするために、境内を「水平の庭」、墓地を「垂直の庭」とイメージしました。境内は日常生活と密着し、人の日常的な行動の場として寺の伝統的な様式を要求され、水平的で散漫な広がりがあります。一方、墓地は死者を葬り、先祖を忍ぶという次元を超えた非日常的な飛躍がなされる場であり、垂直的な特性があります。
 境内の塀は瓦をのせたコンクリート造の白壁、墓地は赤錆の鉄板で構成され、池は散策路のオアシスになっています。かつて、そこは万代塀によって囲われ、夜は暗く人々が足早に通りすぎる所でした。いまや境内と墓地を分断していた道路に閉塞感はありません。いったん道路に入ると、人の眼の特性によるフレーミング効果、視差による遠近感や陰影効果により、囲うことによってかえって空間が拡がっています。
 正月に取り替えられる青竹は新年の訪れを教え、春のお彼岸には、墓地のしだれ桜が人を誘います。池にはめだかが泳ぎ、散歩の人々が一休みする場所となっています。もう「頭陀寺の庭」を通る人はすべてお寺に来てくれたと考えてもいいのではないか、と思うのです。

 
頭陀寺は703年に圓空上人によって開創されました。ご本尊は薬師瑠璃光如来。文武天皇により勅願寺に定められ青林山頭陀寺と名付けられました。863年、清和天皇により定額寺に指定され、現在の頭陀寺町に移ったのは1000年と記録にあります。古刹としてその時代の支配者の庇護を受け、戦乱のたびに焼失しては再興されています。今川、豊臣、徳川、それぞれに200石を与えられていました。
 特筆すべきは豊臣秀吉です。秀吉は織田信長に仕える前、15歳から18歳(天文20年から23年)まで3年ほど、頭陀寺城の城主、松下加兵衛之綱の父、長則に武家奉公していたと、徳富蘇峰の「近世日本国民史」に出ています。20年後,之綱(ゆきつな)は長浜の秀吉のもとに招かれます。長篠の戦いに参戦し、3000石、6000石、ついには遠州久野城の城主16000石にとりたてられました。秀吉はかつての恩に報いると同時に、信頼して部下になってくれる之綱は願っても無い存在でした。


また之綱の娘、おりんは柳生但馬守宗矩に嫁ぎ、柳生十兵衛を生んでいます。それは之綱が松下常慶安綱の姉か妹を娶り、安綱と義兄弟であったからです。安綱の配下は家康の草創期の「影」の集団で、秋葉神社の神札配りに変装して各地を巡り、情報収集していたといいます。安綱の「奥勤」の意味は家康の身辺警護で、台所奉行とはそんな役割でした。その役職で信頼と実績を積んだ安綱の子孫は、代々直参旗本として、治安維持の役職の「火付盗賊改め方」を勤めています。
 WOOD(ずだじこども園)のルーツはこども園の理事長です。理事長のルーツは遠州きっての古刹の頭陀寺です。頭陀寺のルーツは飛鳥にまでおよび、現代に生きる私たちにつながっています。WOOD(ずだじこども園)もそんな歴史の一コマの姿に違いありません。
2012-10-27
9月の上旬、久々にフランスを旅しました。ニースから入ってコートダジュールを出発点に、マルセイユ、リヨン、ロンシャンからパリへと、途中ロマネスクの修道院を訪ねながら、北上しながらコルビュジエの建築を巡る旅です。副産物も多く、なんとアルルでは、ゴッホがアブサンを毎晩飲んでいたという「夜のカフェテラス」のカフェを覗くことができました。
 まずコートダジュールのカプ・マルタンの休暇小屋(キャバノン)を訪れました。隣に4畳ほどの仕事小屋を作ったのは3年後の1954年です。カプ・マルタンの海は明るく輝いてとてもきれいでした。そしてコルビュジエは覚悟の入水と直感しました。
 
1955年、コルビュジエが68歳の時、ロンシャンが竣工しました。1952年にドメニコ会のクチュリエ神父がラ・トゥーレット修道院の設計を依頼しています。この時,神父はコルビュジエにロマネスクの修道院のル・トロネの聖堂を見て欲しいとの要求がありました。それは装飾なしで聖なる空間を作ることの依頼です。装飾を使わず、壁や柱,床や天井と言った建築要素で空間をつくることは、抽象化作用で設計をするというモダニズムの考え方です。
 たぶん1955年の自分と妻の墓の設計は仕事小屋だと思われます。その頃、スタジアム・フィルミニ、ユニテ・ダビタシオン、国立西洋美術館、サンピエール教会、カーペンター視覚芸術センターの設計が進行中でした。
 1957年に妻のイヴォンヌが亡くなり,3年後には母が100歳で他界しました。コルビュジエはずいぶんふさぎ込んでいたそうです。しかも亡くなる直前には、24歳の時の膨大な「東方への旅」の出版を決意し、みずから編集作業を終えているのです。亡くなる数週間前には兄への手紙には「私が願っているのは、品のいい表現ではないけれど,ある晴れた日に私は倒れて死ぬ」と書いています。
 
「建築家の種」は発想を具現化する源だと考えています。そして語るべき動機を持っている者が建築家です。建築を実現するためにコルビュジエはドミノシステム・シトロアン住宅・フォワザン計画・近代住宅5原則・モデュロールを、設計を実践しながら構想し、理論武装したのは保守的な環境の中で自分自身をプロパガンダするための戦略でした。理論化は大衆が主役になった20世紀に有効な建築作法の武装であると言えます。
 理論が必ずしも作品と全ては整合しないのは、原則にかならず例外があることと矛盾しません。最後にパリ近郊のポワシーで見たサヴォワ邸は近代住宅5原則の実践として有名です。外部からはドミノ・システムのように見えますが、実際には現実問題の解決があり、空間を演出する溢れる創造力と自らの理論との葛藤が伺えます。ここで明らかなのは、実現が第一義であるという「建築家の種」がない理論や知識、設計の延長には「建築」はないということです。
 コルビュジエは18歳で住宅を手探りで作ります。第2次世界大戦時には建築を作りたい一心で時の権力のヴィシー政権に近づきます。18年間協働してきたピエール・ジャンヌレとはレジスタンス運動に参加することで二人は決別することになります。「建築家の種」は建築を実現することが第一義で、ケンチクカノサガとしてコルビュジエは建築を実現し、ひたすらその結果を見たいのです。生成の手応えを知っている者だけが、実現への「建築家の種」の衝動を持っているのです。理論や知識は大切なことでありますが,それは「建築家の種」があって初めて意味を持つのです。
2012-03-05
ポロック展で愛知県立美術館へ出かけた。かつて見たポロックよりクラシックに見えた。その後、美術館の所蔵品展を廻った。思いがけず森真吾さんの「きいろの角」があり、35年前の思い出がよみがえった。

(肉質な壁とのS氏の一方的な対話A 1976-8-1)
森さんのオートマティズムやドリッピングの手法は、アンフォルメルの影響が色濃く、内面をまさぐる手触りを通して現代人の不安や痛みが顕在化されていた。学生時代、ユマニテ名古屋で森さんの「カオの構造」を見て感銘を受け、私はこの画家の「押しかけ生徒」になることを決めた。絵を買えるまで授業料はいっさい払っていない。私は自分で絵を描くことをやめ、建築に専念することにした。

(星になりそこなった男の肖像 1976-8-15)
当時は磯崎新の全盛期で、理論や理屈ばかりが先行する風潮であった。周囲も実作で思考を重ねることがなく、自信も責任もなくて言葉だけがむなしく飛び交った。建築事務所に入れば残業200時間に耐えて新建築社のコンペに応募し、見通しのない暗闇でもがいていた。
口腔センターのコンペの後の議論の中で「世の中はいい建築ばかりを必要としていない」ことになった。極めて厳しい、現実認識あるいは自己認識であるが、建築家たらんとする意思のない言葉を聞いて私は耳を疑った。こうして実作がない時代を危うく過ごしていた。
時を経て設計を続けるうちに、実務の中でも絵を描くようにイメージを具現化することができることに気づいた。建築の確かな手ごたえのない私を支えたのは、感動できる絵が確かにあるという実感である。それは辛うじて私の内なるリアリティを支え、とりあえずは次の一歩を踏ませてくれた。見通しがない中でも次のステップを踏むことが重要なのである。求め続ければいつかは光が見えると信じている。
2011-12-30
偶然ですが、現在施工中あるいは設計中のクライアントは皆さん30代です。これから家庭を作り、子供を育てようという夢がいっぱいの若夫婦です。
ナウハウスを作ったときも私は30代でしたからそのときの気持ちはよくわかる気がいたします。それから4半世紀経ち、冠婚葬祭はすべてこのナウハウスで行いました。住まいでもあるナウハウスは、極端に人生の儀式とも一体でしたが(結婚式・会社の創立総会・告別式・その他パーティ・コンサートはこのナウハウスの建物で行いました)、30代の方の家作りはこれからの人生の舞台づくりであることは確かです。たいていのことは経験した設計者として、家作りに当たってどのような提案をすべきかは、一味違わないといけないと思っています。家作りというよりも「家庭作り」といったほうがいいのかもしれません。

(結婚式 披露宴)
3.11以来、防災の意識は高まりました。しかし自然災害はわが国の宿命だと考え、恐れすぎてもいけないと思います。日本人の自然への畏敬の感覚があります。それが日本らしさを育ててきたともいえます。しなやかな強さの日本らしさで、生き抜く家作りをしたいと考えています。

(ジャズのコンサート)
日本には春夏秋冬の節目があり、人も家も年を重ね、同じでいることはありません。この時間の観念を家作りの知恵とすれば、時間に耐える仕掛けのある家になるにちがいありません。
住宅は店舗ではありませんが、人が集まりやすい家は楽しいと思います。縁があって知り合った人たちとの交流の場として、触媒となる家であったらいいと思います。
設計者の私はただいま30代に戻り、夢多き未来を考えることはとても楽しく思っています。未知のことに不安もあると思いますが、そこはかつての30代の私が応援すべきところだと思っています。

(父の告別式)
2010-08-25
環境エネルギーと生きるエネルギーに着目し、60代の夫婦のためのコンセプトハウスを設計しました。
環境エネルギーについては、家でエネルギーを創り、エネルギーの使い方を工夫(省エネ)します。地域の特性を生かし、住宅の基本性能をアップさせ、限られた化石エネルギーを効率的に活用する。従来の日照や通風を考慮しながら、ライフスタイルやライフステージに最適なエネルギーシステムを選択できます。具体的には太陽光発電システムと家庭用コージェネレーションシステムのエネファームによるダブル発電を用います。現在、国による太陽光発電の有利な買取制度や補助制度があり、設備のイニシャルコストを抑えることができます。
もうひとつ住宅の重要なポイントは、人間が生きるエネルギーを育てることです。この家は露地の中庭を中心に居室が囲んでいます。コンパクトですが、空間は庭を通して横に、あるいは上部に広がっています。光や通風が巧みに調節され、プライバシーや防犯も配慮されています。屋上のテラスは開放感がいっぱいで、家族が帰省したときの楽しい食事をする憩いの場所でもあります。こんなささやかなことがあたりまえならば、自然生きていこうという心も湧き上がってくるに違いありません。この家は生きぬくためのエネルギーを漏電しない住まいなのです。
この家はカラリとしてシンプルですが、生活を飽きさせないしかけが豊富であります。あれこれ考えても拉致があかないことで悩まず、生きるエネルギーを漏電しないことです。そんな風に心がけたいと思っています。ポジティブな思考を超え、ありのままに見るという日本人の伝統を生かすならば、ころあいの住まいとなってくれると思います。普段は静かな生活を過ごしていますが、ときには大勢の来客も大歓迎です。こんな風に暮らして欲しいと思っています。
2010-07-06
ナウハウスには住宅メーカーへの不満がある方が相談に来ます。ライフスタイルに合わない。狭小・変形敷地にたてられない。規格から外れるとコストアップになる。デザインが画一的すぎる。各段階で担当者が異なる。多額の営業費用が価格に上乗せされている、等々。
実は家づくりにはコツがあります。夢を現実にするため、目的をはっきり決めることです。家づくりで望むことをよく考え、大切な順に具体的に、きちんと設計者に伝えることです。解決すべき問題を共有して力を合わせることこそ、夢を現実にできるコツです。

「K・HOUSE」はグラフィック・デザイナーが施主です。第一の要求はまず予算内に収まること。そして、コンパクトだが機能的な、アトリエ付の家であること。さらに、狭小敷地に対して建蔽率40%、1mの壁面線の後退の、ぎりぎりの法的規制をクリヤーすること。4番目には、入口の前にある、高圧線鉄塔及び上空を通る高圧線の処理、5番目には南側隣地の産業廃棄物処理のコンテナへの対応、といった数々の難問です。壁面線の後退を逆手にとってコートハウスとし、採光を工夫して屋上に憩いのコートを作りました。明確な要求がこの家を支えています。


「おいしい家」は料理評論家がクライアントです。住宅メーカーに不満があってナウハウスに見えました。要求は予算内に納まること。150坪の敷地に、6戸のワンルームマンションと2世帯住宅を配置すること。食べることが大好きな家族で、キッチンがステージであり、レストランで食事をする雰囲気があること。私鉄が隣接しているので、騒音対策を念入りにすること。8台の駐車場で濡れずに乗降ができ、住民に人気があります。キッチンでは料理教室も開かれ、オーナーの望んでいた夢を実現しました。住宅メーカーにはできないことです。


「神田の家」はランチュウの飼育の専門家の家です。この家の第一の要求はローコスト。平面計画をシンプルにし、面積を制限しました。狭苦しさを感じないように、逆にグレーゾーン(半外部)をたっぷり取りました。4台分の駐車場は造園計画の一部です。外壁はガルバニウム鋼板やサイディングのアクリル系塗料の吹き付け、建具や枠に既製品を多用してコストを抑えました。玄関の家具の下足入れをやめて、浅い収納壁としましたが、かえって広く、すっきりしました。ローコストを第一の目的とはっきり決めて住まい手と設計者が協力し、逆に副産物を得ました。

2010-04-08
コンペ中でもあり、後ろ髪を引かれる思いで熱海へ向かった。3日間で2つのセミナーに参加し、グループに別れてプレゼンするというメニューであった。建築家の本領で、テーマも方法も自由、あみだくじでグループ分けして、コンセプトを発信させるプログラム。思えば、身近な素材と手持ちの方法で、なんらかの成果を出すのは我々の日常の仕事である。セミナー1は天工人の山下保博さんの「価値の再編集」と「Cross Culture」という山下さん流の力のはいった話。建築力が端々に光って説得力を持つ。大学や企業と組織を立ち上げ、周囲を巻き込み、新開発に及ぶくだりは、彼の特別な離陸能力以外の何物でもない。対照的なセミナー2の馬場正尊さんの「建築とメディアと都市再生」のお話。力が抜いて建築をメディアや情報から見ている。建築家は建築の領域を限定しすぎてはいないか?デザイナーとして、もっと予見を作るところで働く必要があるのでは?「建築家はニーズを探すのではなく、ニーズを作る」ことがお二人の主張でした。私たちのプレゼンは長野の門前町の再開発。主旨は、相手の言い分に乗っかって提案できるプロの芸を発揮し、建築のプロとして建築的視点から地方を見直し、再発見することすることでした。最後の日、春というのにみぞれの中、タウトの旧日向別邸と隅さんの水/ガラスを見たがそれほどの感銘はなかった。翌日効果抜群、スタッフから顔色がよくなったとほめられた。確かにセミナーも深夜の酒宴も温泉も刺激的だったが、私が元気になった理由は、留守中のスタッフによる、予想以上のコンペ作業の進展であったことはまだ明かしていない。
2010-02-20
1月末、東京の建設会社に招かれ「環境デザイン 地方からの発信」というテーマで講演会を行いました。近作の「隙屋」から「ZOOO」ずだじ幼稚園、「Body&Soulナウハウス」を例にお話をさせていただきました。
わざわざ「地方からの発信」とした理由は、地方が都会より不利というばかりではないこと、また価値観はきわめて多様であり、不利な条件と思われていることが必ず不利というわけでもなく、見方を変えれば予想外のよい結果を得られることを強調したかったからです。
「隙屋」は東京に住んでいた方が、都会に住んでいたから地方のよさがよく分って、交通の利便を熟慮して浜松に住居を構えたものです。地元に住んでいては分からないところに目をつけ、成功した例です。クライアントは売れっ子の建築写真家というアクティブな職業であったこともうまくいった理由です。交際範囲も広く、全国からさまざまな仕事のプロがおみえになり、浜名湖の恵みを満喫されています。「隙屋」の空間を、「これまでに触れたことのない心地よい空間を堪能した」との感想に、設計者冥利に尽き、恐縮しております。
「隙屋」のコンセプトは、クライアントの「住まいは、至れり尽くせりでなくていい」ことから始まりました。人生を経て、ものごとが分かっている人のスタンスです。現代の住宅は高気密・高断熱がいいと一律的に思いすぎているのかもしれません。浜名湖の温暖な環境を利用して、環境に適した住まいを作る。最小のしつらえでコストを減らし、自然を楽しむ生活をする。自然な生活から逆に気候風土に根ざしたアクティビティを見つけて、豊かさを満喫するということです。
「ZOOO」ずだじ幼稚園は、2000年に設計した真言宗のお寺が経営する私立の幼稚園です。2010年の正月、テレビで宮崎駿監督と養老孟司さんの対談があり、三鷹の森「ジブリ美術館」のとなりの「夢の保育園」を話題にし、子供の育て方を論じていました。
「夢の保育園」は、過保護な現代の風潮へ疑問を呈し
1.やたらにバリアフリーにする風潮に対して、階段をいっぱいつくった
2.子供にバランス能力をつけるように、わざと敷地に凹凸をつけている
3.池を作って、子供が水に落ちたり汚れることを恐れない
4.地下室や暗闇をつくって、闇の存在を教える
5.刃物から遠ざけない。危険なものから離れすぎさせない
というようなことをあげて、
「生きるということは危険と隣り合わせであるから、こどもの危機回避能力を育てなければならない」ことを強調していました。 
じつは「ZООО」も2000年の段階でそんなコセプトで幼稚園を作っていました。私の子供のときは、遊び場が森の中、田んぼ、小川、防空壕でありました。私のノスタルジーもあって「怪我をしても、死ぬことはないだろう」と自然がいっぱいの幼稚園を作りました。安全は十分考慮しました。
地方の幼稚園として、都会とは異なる地域の良さを引き出し、大きなキャパシティを持った施設であろうと心がけました。周囲の畑で色々な野菜を育て、収穫する喜びも味わっています。この幼稚園は一見すると幼稚園に見えないかもしれない。しかしこの形態は、ローコストで、地方ならではの立地を生かし、初めて経験する社会として子供の想像力を喚起させる、新しい幼稚園のかたちを実現したいと思ったからでした。
建築の実現にはさまざまな困難が伴います。敷地条件や法規、構造やコストでがんじがらめですが、これを逆手にとって建築として実現すると、問題点であったことが場所の魅力になります。できてしまえばその建築は力強く、のびのびとして何のしがらみも感じさせないことがあります。「離陸した設計」とは飛行機における空気のように、抵抗でしかなかった多くの制限を「建築を支える力」に変えることに成功した設計だと考えています。
「Body&Soulナウハウス」は私の事務所であり、住宅です。1985年に竣工しましたから、25年が経ちます。4半世紀も経ちますと人生のほとんどを経験します。この家で結婚式からジャズのライブ、会社の創立総会、浜松祭りの初子のお祝い、昨年の父の葬式などすべてを行いました。この家は昔の田舎の家のように、冠婚葬祭、ハレとケに対応できる家として企画しました。
心ある建築設計者は、「ゲニウス・ロキ」という、「土地からインスピレーションを連想させる概念」があることを知っています。他の土地では成り立たないが、特定の土地では極めて有効なインスピレーションとなる「土地特有の力」が「ゲニウス・ロキ」です。
「隙屋」、「ZOOO」ずだじ幼稚園も「ゲニウス・ロキ」の力を使って設計をしました。「Body&Soulナウハウス」は、さらに「ゲニウス・ロキ」に人間の儀式や慣習を設計の要素として加え、イメージの源としました。建築設計に時間軸を導入するという壮大な試みです。フロアーごとに空間にヒエラルキーを与えてハレとケの節目づくりに対応させました。
独立しますととにかくいろいろなことが起こり、それをすべて自分で解決しなければなりません。苦しみながら一つ一つ建築をつくってきました。この過程が大切です。 建築を単なるビジネスと考えないで、「建築する意味、建築だから出来ること」を一生懸命考えてやってきました。建築をまとめきるのはたいへんなエネルギーがいりますが、ポイントさえ外さなければ、そんなに悪い建物にならないとも思います。建築することの責任を感じるとともに建築が面白くなり、今では大好きになってしまいました。
これを逆に言いますと、建築を単なるビジネスと考えていると、建築において大事なことや意味あることができず、建築が嫌いになってしまうということです。建築が面白いのは「社会からのはっきりした手ごたえがある」からなのだと思います。
現在、建築の世界もコンピューターなしではやっていけなくなりました。インターネットであらゆる情報が集まります。住宅メーカーは表面的な口当たりのいい営業をして、表面的に面白いもの、表面的にビジネスが中心になるものが横行しています。今のような情報社会では、本当に建築が好きで、建築が分かる人とそうでない人の区別が付きにくくなっています。10年仕事をやっている人に、2,3年しかやっていない人が表面的には追いついたかにみえてしまうところに問題があります。
コンペをやっていて感じたことはじつに素朴です。
建築をつくる根拠となる「社会への批評的精神が、ポイントを突いているか否か」です。この点が建築が面白くなったり好きになったりするところで、しかもとても時間がかかるところです。
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