株式会社ナウハウス
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ナウハウス所長の鈴木です。今何を感じ、どのように建築に向き合っているのかを伝えていければと思います。
ナウハウス一級建築士の高橋です。設計を通して感じたことや現場の進捗を気軽に綴っていきたいと思います。

〒430-0817
静岡県浜松市南区頭陀寺町330−20
TEL.053-461-3408

2009-11-17
「ラブラ」はわが家の黒のラブラドールです。
ナウハウスに来たのは息子が5、6歳のころで、子供たちと成長期をともに過ごしました。夏になると海や山に行くのが恒例になって、祖父や祖母を交え、家族全員のキャンプを7年間続けました。甘えん坊の「ラブラ」は、トイレで姿を隠しただけで私を呼び続け、私は落ち着いて用足しができませんでした。サッカーボールでの遊びが大好きで、母が蹴ったシュートを見事にキャッチしていました。私が蹴るときは少し下がり気味であることに気づき、彼女なりの判断があることに感心しました。あるとき森林公園でサッカー少年の中に飛び込み、パスのカットに夢中になっていました。隠れますと私が見えなくなったこと気づき、とたんにおろおろして落ち着かない様子。姿をあらわすと、サッカーそっちのけで一目散に走ってきました。懐かしく幸福な思い出です。「ラブラ」は14歳と6ヶ月になりましたから、人間であれば90歳を越えています。
去年の正月ぐらいから、あんなに好きだった散歩ができなくなりました。遠州灘の松林を一時間ぐらい散歩するのですが、途中でへたり込んでしまうようになってしまいました。しだいに右前足の筋力を失い始め、びっこを引くようになってきました。違和感があるのか右足の間接部を舐め始め、スジが見えるまで舐めつくしてしまうことがありました。あわてて動物病院に駆け込みました。どうも右前足の脇のリンパ腺に悪性の腫瘍ができているらしいとのこと。とりあえず傷口の治療をして、そこに触れないよう樹脂性の逆椀状の首巻を巻くことにしました。
かつてように遠方への散歩はできなくなって、駐車場に行ってトイレをして帰るだけの散歩になりました。いつも一緒に行った海岸への散歩は、私一人だけのものになってしまいました。相棒としていろいろなところに散歩に行きましたから、ずいぶん寂しいことになってしまいました。今年の9月になると悪性腫瘍がさらに大きくなり、右前足の筋肉はすっかり落ちてしまいました。それでも用足しのためには3本足で懸命に歩こうとし、近くの道路の決めた場所で、犬らしく縄張りを主張していました。そして10月になるとそれもかなわず、家族の介護とオムツが必要になりました。それでも食欲だけは旺盛で、ドッグフードを食べた後にもおねだりをするのはいつものことでした。
10月12日の朝のことです。食いしん坊のあの「ラブラ」が朝ごはんを食べようとしません。かつては2度の朝食を平然と食べ、フリスビーで遊んでも翌朝にはそれを食べてしまうという健啖ぶりを誇っていました。この日は好物のパンをやってもわずかに飲み込むだけです。炭水化物は悪性腫瘍の栄養源ということで与えることを控えていましたが、そんなことも言っておれません。そんな状態にもかかわらず、私の姿を見つけると健気に尾を振るのです。そのときが近いと感じた私は、家族を呼び「ラブラ」に声をかけ体をさすりました。気のせいか「ラブラ」の目が涙で光っているように見えました。その夜遅く、「ラブラ」は息を引き取りました。
5月に父が亡くなり、半年後に家族同然の「ラブラ」がこの世を去りました。死とは再び会えないことであり、二度とコミュニケーションを交わすことができないことです。人間とペットを同等視するわけではありませんが、「ラブラ」がいなくなって間もないことでもあって、言葉でコミュニケーションすることができた父と、なんか分かり合うだけというペットとの関係の違いなのか、いつものところにいないという喪失感は、かえってペットのほうが強いような気がしました。犬は最後の瞬間まで身をゆだねきるだけなのに、人間には死に対する本人の覚悟というものを感じていて、犬にはそれを感じないないからかもしれません。いずれにしろ死の喪失感で悲しむのは死んだ本人ではなく、残された者です。そしてその喪失感に慣れることがすこしもないのです。
2009-09-29
ナウハウスの中庭に10年ほど経った一本のレモンの樹があります。5年経っても実をつけず、枝葉ばかり伸ばしていました。青春を謳歌してばかりいて、実のあることをしない若者のようでした。そこで、現実の厳しさを知らしめるべく、枝葉を詰め根の周囲を掘り起こし、苛めてみました。すると翌年から数個が結実するようになったのです。今では20個以上の立派な実をつけています。
相変わらず樹勢は強く、剪定しても次から次へと立枝が伸びていきます。そんなレモンの若葉は、蝶の幼虫の大好物です。クロアゲハチョウがやってきては1ミリくらいの白い卵を産み付けていきます。その卵は、レモンの葉にそっくりに同化した青虫に育っていくのです。蝶の幼虫は、レモンにとってせっかくの若葉を食い散らしていく害虫です。
大きな青虫を見つけました。心を鬼にして枝切バサミで青虫を挟み、庭のタタキに打ち捨てました。助けてやってもいいじゃないかと、後悔の気持ちもあって改めて青虫を見ますと、胴がちぎれかけレモンの葉の青汁が出ています。見つかったお前が悪いのだと気を取り直し、レモンの樹の無駄な枝の剪定を続けていました。何十分立ったのでしょうか、先ほどの青虫をふと見ますと、それは懸命にどこかに逃れようかと、青汁の一筋を曳きながらゆっくりと動いているではありませんか。ちぎれそうな胴を引きずりながら懸命に歩む姿に、後悔の念はますます増してきましたが、助けるすべもありません。再び青虫を見ることも無く、事務所に戻りました。
翌朝、いつものとおり、早朝の散歩を済ませ、中庭に戻ってきました。ふと気になって昨日の青虫を探しました。青汁の痕跡はありますが、姿が見えません。瀕死の状態で、遠くに行くことはかなわないはずです。しばらく探して見たのですが、どこにも見つからないのです。助かりようのないあの青虫はどこに行ってしまったのでしょうか。悠然と消えてしまった青虫の意地を思い、ただの虫だと思っていたところに、不思議さとちょっとした感動を覚えました。
2009-09-29
最近、安藤さんの建築を見直す機会がありました。「命拾い」でも触れましたように、心臓カテーテル治療で3日間の入院したときに、「安藤忠雄の建築 1・2・3」と自伝の「建築家 安藤忠雄」、「安藤忠雄 建築手法」を持ち込み、一気に目を通してみました。
建築などは独学でしかないと思っていましたが、安藤さんの独学の悩みを聞くと、なるほどと思いました。師を持たないこと、建築を語る仲間がいないことだったと言っています。安藤さんは持ち前のバイタリティで、建築を始める前からしばし東京に出て、芸術のアバンギャルドと親交を持っていました。横尾忠則、田中一光、高松次郎、篠原有司男、篠山紀信、倉俣史朗。地元関西では、吉原治良ひきいる具体美術協会と接触を持ち、白髪一雄や村上三郎の前衛の極みの中に、目指すべき表現者のあるべき姿を見出していたように見えます。

(ルイス・バラガン サテライト・シティ・タワー)
1976年の「住吉の長屋」は衝撃的でした。屋根伏図を見ますと、3軒長屋の真ん中にコンクリートの箱が割り込んでいるイメージが画期的です。「ローズガーデン」で見るように、本来、器用な安藤さんが、意図的に、表面的なテクニックを労することを避け、抽象的アプローチで、建築的深度を深める方法をとったことの懸命さに驚きます。形態が建築的純度を高めていきながら、プログラムは洗練されていくのですが、その自律性を持った形態は古典的ですが、現代に通じる普遍性を持っていました。この方法は安藤さんの建築を特徴づけています。プラグラムの設定における極めて実用的な配慮と、光と壁を使った演出は、安藤さんの師とも言える西澤文隆の示唆が大きいと思われます。
その後の「小篠邸」、「六甲の集合住宅 1」、「TIMES」、「六甲の教会」、「光の教会」と、どんな新しいシーンに対しても、かつて前衛の極みの中で培ったアバンギャルドの精神と、建築的深度を深める方法は発揮されています。
安藤さんは打ち放しコンクリートにおいてルイス・カーンに大きい影響を受けたと言っています。しかしもうひとりのルイスについては何も語っていないのです。もうひとりのルイスとはルイス・バラガンのことです。誰も触れていませんが、私はずいぶん昔、80年代頃にルイス・バラガンの色を取ったら、安藤さんじゃあないかと、直感的に感じたことがあります。1997年に、メキシコにバラガンを見に行く機会がありました。安藤さんはバラガンとも交流があったと、バラガンに親しかった家族から聞いて、ますます安藤さんはバラガンからも影響を受けている念を強くしました。ルイス・バラガンの自邸の居間に、ジョセフ・アルバースの正方形礼讃がかけられていますが、安藤さんの好みとぴったり一致しているように思うのです。不思議に思うのは、ルイス・カーンからは影響を受けていると認めていて、なぜルイス・バラガンのそれを語らないかということです。

(ルイス・バラガン ロス・クルベス)
安藤さんの「住吉の長屋」は、どれほど小さな建築であっても新しい提案ができることを教えてくれました。安藤さんは、独学ゆえに新しい建築の道を切り開くことができました。「安藤以前」と「安藤以後」では建築界は大きく変りました。安藤さんの建築がパワフルゆえに、極端に言えば、世は「アンチ安藤」と「シンパ安藤」と分かれ新しい建築の模索をしているように見える、というのは言いすぎでしょうか。安藤さんは妹島さんと西沢さんのチームを高く評価し、自分にない資質を十分認めています。安藤さんの建築の強みが弱みになるところに、新しい建築のヒントが潜んでいそうな気がいたします。それにしても安藤さんの方法はパワフルです。

(ルイス・カーン ソーク静物学研究所)
2009-04-07
この「隙屋」は建築写真家のクライアントに「できるだけデザインしないで欲しい」と言われて設計が始まりました。クライアントは仕事柄、建築家が設計した建築にかかわることが多く、自分の住まいはデザインから少し距離を置きたいようでした。「日本建築の良さを生かした、簡素で素朴な家に住みたい」とのご希望でした。環境を生かし、土地の特性を利用して、日本建築の感性と伝統の技術で、努めて作為を消そうと心がけました。はたしておおらかでのびやかな心地いい空間が出現しました。デザインという言葉は人口に膾炙していますが、デザインへの理解の深さはさまざまです。スタンスを明確に決めることによって「こうありたい内容を具現化する行為」であるデザインができます。デザインが新しい機能を生み出すこともあります。「住まいは至れり尽くせりでなくていい」ことがこの家の出発点でした。「隙屋」はデザインすることの意味を深く考える、いい機会になりました。
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